法人概要


法人名   

一般社団法人アシアトウアン協会

 

本店所在地 

兵庫県神戸市東灘区本山北町4丁目9番41号

 

北海道支社 

北海道勇払郡占冠村シムカプ原野142-18・142-19・142-20

 

代表者名  

中村孝也

代表者プロフィール


■元Jリーガー

所属:ヴィッセル神戸

ポジション:キーパー

 

■一般財団法人カムナカムイ

理事

 

■村祭り地域おこしプロジェクト代表

スーパーナチュラルコミュニケーションパフォーマー

スーパーナチュラルコミュニケーター

 

 

仕事において必要なのは人間関係コミュニケーション

人と出会う事で何かがうまれる

人の考え方はそれぞれ

 

それを踏まえて村つくりなど行う

コミュニケーションパフォーマー周りから仕事が来る

ネットワークの網をかけて仕事が戻ってきた

よろづや

人間関係を大切にしてたから

 

わたしを呼んでください!


 

◆子供のころになりたかったものは?

 

【サッカー選手】

幼稚園の頃から、目指すはサッカー選手!

日本でまだプロのサッカー選手が存在していなかった時から、W杯などを観て海外のサッカー選手に憧れていた。



◆毎日欠かさずしていることはありますか?

 

①朝日を浴びる

②月を見る

 

「自然を感じたい」という願望がとにかく強い。

子供の頃から、和歌山の山奥にある祖母の家に

行った時は、山遊びをすることが習慣だった。

川から水を引いてきて生活し、薪風呂が日常で、サワガニ・ヤマメを獲ったり、こんにゃくを作ったり…自然の恵みを活かした「仙人のような暮らし体験」が、今の自分を構成するルーツになっている。

 

サッカーをしている時も、芝生のフィールドを駆け、身体を動かす爽快感をいつも感じていた。

サッカーを辞めて都会で暮らしている間、自然を感じ時間が減り、爽快感のような「抜け感」が全く無く、非常に辛かった。

 

だからこそ今は、自然のリズムに合わせて心身を整える習慣を大切にしている。



◆自分の支えになった、或いは変えた人物・本は?

 

①本気で夢を追うキッカケをくれた【松岡隆先生】

 

小学生時代のサッカーの先生。

とにかく厳しかったが、この先生のおかげでプロのサッカー選手になれた。

松岡先生の元でサッカーをしていた6年間、毎日欠かさず「サッカーノート」を書いていた。

その日出来たこと・出来なかったことや、サッカーに関することを毎日記録した。

こうした継続の習慣や、礼儀・あいさつ・時間を守ることなど、たくさんのベースを作っていただいた。

また、松岡先生は無名のサッカーチームを兵庫NO1チームへと導き、全国へ連れていってくれた。

この経験から「プロの選手になれる!」と自信がつき、本気で夢を追うキッカケになった。

 

②自信をくれた【森敦彦さん】

 

Jリーガー(元日本代表キーパー)の森敦彦さんと中学生の時にお会いする機会があり、その時に「センスあるよ」と言ってもらえた。

この言葉により、更に自分に自信が持てた。

現役のプロ選手と交流を持たせてくれた松岡先生に感謝。

 

③自分らしく自由な生き方を教えてくれた【松田成人さん】

 

松田さんは、サッカー選手・会社員という生き方しか経験してこなかった僕が、初めて衝撃を受けた生き方をしている人である。

僕はサッカー選手を引退してから9年間、会社員として都会で働いてきた。

エンターテイメント業界の営業や企画・新規事業の立ち上げなど幅広く経験させてもらえた。

ありがたいことに結果を出し、親会社(上場会社)へのスカウトもきた。

高卒というコンプレックスを抱えながらも、スカウトを受け、ライセンス営業部で懸命に働いていたが、ある日バチーンと何かが切れてしまった。

一生懸命身を粉にして仕事に明け暮れた結果だ…。

いつのまにか自分を押し殺して、周りに合わせて生きていたことに気付いた。

退職も考えたが、会社に相談し、一旦休暇をいただいた。

自分の今後の働き方を見直すタイミングだった為、ご縁があった松田成人さんの仕事(アパレル業界)に2週間ほど同行させてもらった。

 

結果、この2週間は僕の固定概念を破壊することになる。

松田さんの暮らしを見ていると、とにかく肩の力を抜いて自分らしく、自分のペースで仕事をして、ありのままに生きていた。

そんな自由な稼ぎ方・生き方は素直に「かっこいいな」と思った。

「自分のやりたいことは何だろう?」と考えつつ、自分も自営業になると決意。

 

④信念を貫く生き方を教わった【緒方陽一さん

 

緒方陽一さんは、カンボジアで初めて野生の蜂蜜と出逢い、人生が変わった人。

その感動を伝える為に試行錯誤し、日本に広めるべく行動していた彼とご縁があり、僕も野生の蜂蜜に大衝撃を受けた。

そこから、日本での蜂蜜販売を任せてもらえることに。

彼の生き方から「感動」や「信念」が情熱により、仕事に結びつき発展することを教わった。



⑤食事の大切さを教わった【中美恵さん】

 

中美恵さんはマクロビオティックの先生。

中美恵さんが食べさせてくれた玄米おにぎりに感動し、改めて食事の大切さを学ぶ。

ファーストフードばかりだった僕が、自然食に目覚めたキッカケをくれた人。

 

⑥バイブル本【自然のレッスン】北山耕平著

 

自然に暮らしていくために、忘れてはいけないことや、元気に生きていくための「魂の処方箋」ともいえる一冊。



◆自分の人生を変えたきっかけになった言葉は?

 

「 life changing experienceライフチェンジングエクスペリエンス」

 

※井出辰之助さんからの言葉

 

これは「人生が変わる体験を」という意味である。

この世界・地球はきっともっと素晴らしいことがたくさんある。

僕自身、魂震えるような体験をたくさんしたいのと同時に、そうした経験をする「キッカケ」を多くの人に与えたいと思っている。

また、この地球の豊かさや、生きてく中で感じる沢山のトキメキ・ワクワクを伝える存在でありたい。

 

恩師である松岡先生に書いてもらった

「継続・努力・覇気・情熱」

の4つの言葉も家に飾り、常に意識している。



◆人生の転機はいつどんなことでしたか?

 

①夢だったプロのサッカー選手になった時

 

自分の好きなことでご飯が食べられるという、幸せな衝撃を受けた。

また、夢叶い選手になった時に「本気で願ったことは叶うんだなぁ」と実感。

自分の夢を家の扉に書き、常に見ていたし常に意識していた。

夢は必ず叶う。君にもできるよ!と一人でも多くの人に伝えたい。

 

②チェコに日本人初のキーパーとして行った時

 

言葉が通じない中でのプレイ。日本人初のキーパー挑戦。

どれもが初体験であり、貴重な体験となった。

不安があっても、実際にやってみたらどうにかなるもので…。

バンジージャンプを飛ぶような感覚を味わいたいと思っている僕には、ピッタリな経験だった。

また、パイオニアとしての面白さも味わえた。

1番になれることも、チャレンジしたからこそ手にできるもの。

こうした成功体験は、その後あらゆる場面で恐れずにチャレンジできる原動力となった。



◆問題、障害或いは試練は?どうやって乗り越えたのですか?

 

一番きつかったのは「プロサッカー選手を首になった時」

落ちた時・悩んだ時は、とにかく一人で向き合う時間を作る。

良かったこと・悪かったことをノートに書き出し、悪かったことは消す。

そして良かった時にガチっと焦点を当てて、その時の感情を思い出す。

良い状態の時の感情になれたら、ようやく人と話し、悩みを打ち明けたり相談できるようになる。

 

自分はどうしたい?と原点回帰することも大切。

ウォント(欲望)→イメージ→アクション→検証を繰り返している。

 

◆お父さんはどんな人ですか?

 

父はとても厳しい人だったので、父に対しては「怖い」という感情を抱いていた。

僕は幼い頃から臆病な性格で、女の子っぽかったので、もしかしたら男として強くしようとしていたのかも?

僕の中の「苦手」や「恐怖」な事を、あえてやらせる強引さはあったけど、とにかく豪快で破天荒な父は面白い人だった。

人気者で、僕の友達が父に会いにきたりしていたほど。

健康食品・カラオケ・居酒屋・ステンドグラスの教室など、様々な事業をしては豪快にお金を稼ぎ、使う人だった。

ヤンチャでもあったが、家を建て家族をきちんと養う父のことを尊敬していた。

 

「サッカーを心おきなくやれ」と誰よりも応援してくれた。

サラリーマンを辞めてから、父は時間があった為、たくさんサッカーを観に来てくれた。

 

◆お父さんから受けた影響と思い出は?

 

家で毎日人を集めてお酒を飲んでいた父の影響で、コミュニケーションスキルが身に付いた。

子供の頃から、色々な世代の大人と絡み、話を聞いてきたので、話を聞くのが好きになった。

 

仏壇の上に家の売上(給料)がいつも置いてあって、すごく良い時期もすごく悪い時期も、置いてある札束の厚さから見て判断していた。

どんなに悪い時でも父の態度や様子が変わることはなかったので、凄いなと思う。

 

そんな父は、度重なる脳梗塞により喋れなくなってしまったが、喋れない父とのコミュニケーションは楽しかった。

どうしたら伝わるか?試行錯誤しながら父との時間を過ごした為、コミュニケーション面での後悔はないが、最期に話す機会を逃したことが唯一の後悔。

これから、色々な経験をしながら選択する時が沢山あるが、自分で判断すること、優先順位と動くタイミングを見極めるようとか強く思った出来事だ。



身近な親族で初めて亡くなったのが父。

僕の人生で1番印象的でショックな出来事だった。

父の存在は今や「報告する所」となっているので、父が僕の生き方を見て喜んでいるか?を意識しながら生きるようになった。

 

◆お母さんはどんな人ですか?

 

愛情深く、綺麗で素朴な人。

花を植えたり、梅のジュース作ったり。とにかく優しい母。僕は子供の頃から母にベッタリくっつき、甘えていた。

 

そんな母の尊敬できる部分は、一つ一つ実直に進めているところ。

そして、小さな幸せを見つけて生きているところ。

自分が華やかなサッカーの世界にいた時に母を見て「これで幸せなんかな?」と思ったが、母は目で見える表面的なことに惑わされず、内側のものを大切にしていた。

なのでブレることなく、破天荒な父を支え子供たちに変わらぬ愛情を注いできたのだと思う。

 

◆お母さんから受けた影響と思い出は?

 

子供の頃はとにかく母に甘え、優しくしてもらった。

父が亡くなってからは、何十年かぶりに実家に戻り母と二人暮らしをした。

父が残したたこ焼き屋をやることになった母の仕事ぶりを見ようと、毎日一緒に出勤した。

母の仕事ぶりはとにかく真面目。

閉店後、片付けを2時間くらいかけて丁寧にやっていた。

誰も見ていないところこそ一生懸命にやる母の在り方に感動した。

 

◆兄弟とはどのような関係でしたか?

 

姉ととにかく仲良くて、いつも姉がやることを真似していた。

姉の友達たちと遊んでもらっていたので、女性の輪の中にいることは昔から当たり前だった。

妹は6歳離れていることもあり、とても可愛い存在。

サッカーを始めてからの僕は、両親の期待と注目を集めたため、姉は妬む気持ちもあったと思うが、関係が悪くなることはなかった。

 

中村家は破天荒な父を中心に回っていたが、年齢を重ねるごとに、言いたいことは言う関係で仲の良い家族関係だった。



◆自分の中で大切にしている信念や価値観は何ですか?

 

引退後、営業をしてきたが、自分が納得していないものは絶対に人に売らない。

好条件の物でも、自分の中で納得できないものは断る。



◆失敗や困難な状況から学んだ一番大きな教訓は何ですか?

 

周りのことを考えられない・自分のことしか考えていない時は、大体うまくいかない。

自分を守る・自分の利益や欲の為に動いた時は失敗してきたので、打算的にとか取り繕ったりしてもダメ。動機が不純だとしっかり結果に出るタイプ。

プロのサッカー選手の時や、お金を手にした時期は調子に乗ってしまったこともある。

環境に呑まれる経験をいくつかしてきた。

「何のため」という自分の軸を見失わないように意識している。



◆チームワークで心掛けてきたことは?

 

キャプテン・副キャプテンを経て、チームワークの中で心掛けてきたことは、みんなのモチベーションが下がらないようにすること。

チームの士気が下がらないようにすること。

プラスよりマイナスのエネルギーが強いので、マイナスを取りながらプラスを伸ばすということをしてきた。

チームの中で試合に出れない人とも積極的にコミュニケーションを取り、ベンチ側でも一緒に試合に出ている感覚で一体感を持つようにしてきた。

意思疎通がしっかりできるように、お互いに繋がることが大切。

敵を作らないことも意識してきた。

最後はテクニックももちろんだが、情熱、気持ちの部分がが影響してくる為、チームの空気感・士気にはこだわってきた。



◆中村さんの得意なことは何ですか?

 

アイディア・情報・人脈・マッチング・営業(情熱伝えること得意)

宝物・原石・変わった人を見つけるのが好きで得意。

松田さんの生き方に衝撃を受けてから、成功者の「なぜ?」を掘り下げる癖ができた。

人の話、夢や自身の考え方などの話をきくのが好き

自分はインタビュアーにも向いていると思う。



◆中村さんの苦手なことは何ですか?

 

①資料作り 

②お金が絡む取引(販売は得意)

相手のことを考えてしまい、駆け引きなど苦手。

一般的な取引における金額の決め方が腑に落ちておらず、納得しないままのお金のやりとりが多く、気になっている。

③仲間と戦うこと※意見のぶつかりあいや切磋琢磨などのうえを向いて進めていることはOK

 

プロになってチーム内での戦いが出てきた。

キーパーはチームに1ポジションなので、試合に出れない時も増えてきた。

仲間内でどちらかが試合に出れ、どちらかは出れないというのは辛かった。

負けるのは嫌だが、蹴落とす感覚も苦手になってきた。

ライバルだけどリスペクトがとても大事。

リスペクトしながらも、相手を蹴落とし自分がのし上がるという経験は、メンタルの鍛えどころだった。

アマチュア時代はキャプテン•副キャプテンという立場で期待され、常に活躍していたが、プロになってからは活躍できない時も多かったので、まるで刀を持っていない侍みたいな感じだった。

周りからは光の存在として見られるが、実際は闇の中でもがいていることも…。

そのギャップが精神的に辛かった。

負けたり傷付くのも苦手。

 

◆苦手な人は?

 

ヒステリーな人や、おこりんぼう、本人がいない時に人の悪口言う人、自分が経験してないことを経験したかのように話す人、が苦手。

悪口話の空気感も嫌い。

けれど、人を嫌いになることは基本ない。嫌な人がいたら、自分の気持ちが下がる原因をみつけて、そこを受け入れるようにしている。

 

自分ルールとしては、嫌な人は会わないようにしているが、3回誘われたら行くと決めている。

 

人間関係において、不満があった時は「こういう風にしてほしかった!」とちゃんと自分の気持ちを伝えてその場で解決する。

それが出来ない人とは気を使ってしまい長く一緒にいるのは難しい。

 

◆自分自身についてもっと知ってもらいたいことはありますか?

 

ぐるぐる色々な所を旅したい。

色々な地域の祭り・音楽・自然・食べ物・アートに触れたい。

その土地に残る文化を追い求めている。

初めてのことがワクワクするので、初体験をたくさん味わいたい。

その体験をしながら仕事になれば良いと思っている。

組織での自分の役割は「輪をうまく繋げる・馴染ませる」こと。

 

人の話を聞くのが好き。

人の好きなことに乗っかるのも得意。

共感力に自信あり。

 

腹落ちするまで時間がかかるけど、腑に落ちたら素直にまっすぐ一直線に進む。

わかりやすいタイプであると自負している。

 

◆今、人生の中で挑戦していることは何ですか?

 

新しい生き方(今までの考えや付き合いや価値観を変える)への挑戦が始まった。

自分の生き方が仕事になることを形にしたい。

特にお金の概念を変えること。

今まであまり興味がなく、失敗してきたところでもある。お金がエネルギーであるとわかってきた今、自分の概念変換を意識している。



◆10年後の自分はどんな風になっていたいと思いますか?

 

今よりもっと自力で生きていく力を身につけていたい。(人にアドバイスしたり、教えられるようになる)

地域を盛り上げ、家族のようなコミュニティを全国に広げる。

 

地域をめぐり、心繋がる仲間にあいにいき、その場で仕事現場となっている状況

 

◆夢は?

 

自然と対峙する仕事をすること。

日本の素晴らしいものを守っていくこと。

 

サラリーマンを辞めて自営業になるまでの間、実は半分ホームレスだった。

お金が底を尽き、代々木公園に住みながら、あらぬる知恵を縛って生きていた。

その時に「ご飯持ってきてくれたら話聞くよ」と、自分が提供できる価値と等価交換をし、お腹を膨らませることに成功。

自分の経験・知恵・人脈を活かすことで、お金に縛られることなく生きていけることも体感。

考え方、視点を変えるだけで豊かに暮らせるのだ。

 

自然の中にも、豊かに生きる為の宝物がたくさん眠っている。

素晴らしい自然・大地の恵みは、時に病をも癒す力を持つほどだ。

それは日本の秘湯・源泉に出会った時に体感し、衝撃を受けた。

日本は豊かな自然と、沢山の神様と共に生きている素晴らしい国。

 

そんな日本の自然や伝統を守り、伝えていくことを志事にしたい。